お別れと再会と

お盆の終盤に、夫の祖母が亡くなり、急遽、岡山に帰っていました。
享年百四歳でした。

10年ほど前、奇しくもうちの長男が誕生する直前の日だったと思いますが、足を痛めて以来ずっと、療養型の病院に入院していました。
すでにその頃、目はほぼ見えなくなっていたのですが、自分の口から食べ物を食べ、お正月には自宅に帰り、地元のホテルで行われた白寿のお祝いの席にも病院から顔を出し、最期はだんだんと衰弱して栄養がとれなくなり、水分補給程度の点滴のみを受けていたのだそうです。
地元に住む伯父夫婦の献身的な介護に支えられ、そして義母も遠距離ですがにたびたび田舎に帰り介護にあたっていました。
去年だったか、帰省して皆で会いに行った時、義祖母はベッドに寝ていたのですが、人の気配を感じたのか目を覚まし、なんと腹筋だけでウッと起き上がり、しばらく座ったままの姿勢を保ったのちに、今度はバタンと勢いよく後ろに倒れ、そのまま再び寝てしまいました。
もうほとんど会話らしい会話をすることもなくなっていましたが、生命力の塊のような力強い動きに圧倒され、いや呆気にとられたことを思い出します。
今年の春、一番末の義叔父(義祖母にとっては末の息子)が急死、その告別式中に容態が悪くなったと初めて病院から緊急の連絡が入り、それ以降はゆっくりと旅立ちに向かっているような状況だったとのこと。
私は晩年の姿しか知りませんが、小さな身体でもいつも圧倒的な存在感を放っていました。

「お別れの時がやってまいりました」という言葉から始まる手書きの遺書が見つかり、お通夜の席で伯父達によって全文が披露されました。
感謝の言葉と最後に「さようなら」。
おそらく夫であった義祖父が亡くなった直後、30年近く前にしたためられたのだろうとのこと。
同時期に、死に装束も自らの手で仕立ててあったそうです。
その自分で仕立てた上品な灰色の着物を身につけ、プロの手による死に化粧を施された端正な顔は、10年以上前、私が夫と結婚する時に初めて義祖母と対面した頃よりもさらに若やいで見えました。

今年は帰省の予定がなかった我が家ですが、思いがけず帰ることになり、子どもらは同世代のまたいとこ達と再会。
大ばあちゃんのお葬式だというのに子ども達は大盛り上がり。会場で鬼ごっこをしてどやされ、祭壇にぶつかって大目玉。
なんせ男子が多いので(しっかり者の女子もいますが)、こうなることは行く前から目に見えていた( ̄▽ ̄)
何はともあれ我が子達には「いとこ」という存在がまだいないので、「またいとこ」達は彼らにとって貴重な同世代の身内です。
久しぶりに会ってもすぐ意気投合して楽しく遊んでいる様子に、いつもほっとします。
私自身は一人っ子な上に親しい付き合いのあるいとこがとても少なく、しかもそのいとこ達とも年が結構離れているのですが、夫の方は、数多い同世代のいとこ同士の距離がとても親密で、いいなあと思います。
親世代も大勢の繋がりが密なので、それを受け継いでいるのでしょう。
新たな繋がりを確認した二日間でもありました。